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身の回りを見わたすと、たくさんのものがあります。わたしたちは、そのどのひとつの名前も知っています。たとえ名前を知らなくても、その代わりに言葉で説明することができます。色や形をのべたり、使い方を示したり、あるいは比喩をもちいたりすることで。言葉は尽きることがありません。部屋の中にたくさんのものがある以上に、世界にはたくさんの言葉があるのです。

尽きることなく言葉が存在するのは、意味がともなうからです。辞書にのっている意味にとどまらず、それを用いる誰かの記憶や体験もまた、言葉にあらたな意味をつけ加えます。人が日々の暮しで知恵をつけていくように、言葉もまた、使われるごとにどんどん豊かになっていくのです。

言葉には、それを用いる人が必要です。書いたり、話したり、歌ったりする誰かが必要なのです。そして、人にはその言葉を豊かにする素地があります。

人と言葉は深く結びついています。大昔に、その口から声が飛び出した瞬間から、人は言葉を使うことを運命づけられていた。人が用いるのですから、ある意味において、言葉は道具でしょう。けれども、単なる道具ではない。たとえば鋏は、使い方を知らなければ用をなしません。言葉はどうでしょうか。目の前にいる誰かが、あなたの知らない言葉を口にしたとして、遠い土地の言葉なのか、専門的に過ぎるのか、ちんぷんかんぷんだったとして、あなたはそれらを意味をなさないものとして、無視するでしょうか。

わたしたちは、思います。きっと、あなたは言葉をよみとこうとするだろうと。あなたは考えて、推測して、何かを察し、また、考える。伝えられようとする言葉があるなら、あなたはかならず、その言葉を受け取ることができます。言葉は意思です。あなたが受け取るのは、それを用いた人の意思にほかなりません。言葉に人をつなぐ力があるのはそのためです。

言葉を交わすことは、呼吸をするのと同じことです。あなたはわたしたちの言葉をのみこみ、わたしたちはあなたの言葉をのみこむ。そして、あなたは私たちの言葉をはきだし(あなたの人生に裏打ちされた辞書を使って)、わたしたちはあなたの言葉をはきだす(わたしたちだけの辞書を使って)。

鋏はわたしたちにはなりえませんが、言葉はわたしたちになりえます。言葉はわたしたちの一部なのです。

dico : 辞書|フランス語